人気ブログランキング | 話題のタグを見る

鱗のない魚のような下半身の少女の絵 からの連想

ピカソが、やはり、他の天才と同じく
あちらの世界とこちらの世界の紙を破らずに
行ったり来たりする特性は、
この絵によく現れていると思う。
この少女の下半身は、まるで鱗のない魚の下半身のようだ。
尻のあるべきふくらみがなく、尻と太ももがつながっているからだと思う。
この作品は1905年のもの
鱗のない魚のような下半身の少女の絵 からの連想_a0170046_1273714.jpg

この絵を買った人物は、やはり、この絵の下半身を不快に思ったそうだ。
知人に嫌なら下半身をばっさり切ればよいと説得されて、買ったそうだ。
あちらの世界の視角が、残存していると、私も思う。

青の時代1903年のこの絵の女性には、尻のふくらみがあり、観ていて不快感はない。
鱗のない魚のような下半身の少女の絵 からの連想_a0170046_1321717.jpg


これは、「天才」の本から
あちらの世界の人が描いた絵
鱗のない魚のような下半身の少女の絵 からの連想_a0170046_2255181.jpg


上の絵にある、ある種の空気は、
セラフィーヌの絵にも感じた。
上の絵のくちばしのギザギザと、羽の造形が、セラフィーヌの絵の葉っぱの
ざわざわした産毛と似ているのだと思う。
鱗のない魚のような下半身の少女の絵 からの連想_a0170046_2291395.jpg


セラフィーヌの絵は、世田谷美術館の常設展で、
今見られるらしい。
行きたいと思っているのだが・・。

ピカソ1922年の作品
セザンヌの人物の絵には、立体が「バラけはじめ」の絵がある。
オルセーに出展されていた。
私はあの絵と共通のものを、この絵に観る。
セザンヌの絵に、ピカソは影響を受けたという。
確かにセザンヌの水浴の絵には、3次元が2次元にバラけていくような感覚を覚える。
このピカソの絵の場合は、まだバラけはじめていない、3次元が3次元であるための
ぎりぎりの状態、
3次元と2次元の接点のように見える。
鱗のない魚のような下半身の少女の絵 からの連想_a0170046_2315262.jpg


やはり、この人たち、
ピカソ、セザンヌ、セラフィーヌ
みな、あちらの世界の視点を、持っていたのだろう。
セラフィーヌは、最後、あちらの世界に行きっきりになってしまうが。

セラフィーヌの庭という映画では、セラフィーヌは、ウエディングドレスを身にまとい
狂気の世界に旅立つ。
大地母神のようなセラフィーヌは、圧巻だった。

私が、なぜ、天才と精神病の関係に興味があるのか、
それは、ひきつけられるから としか言いようがない。
摩訶不思議なことが、好きなのだ。
天才と精神病の関係は、尽きぬ興味を投げかけてくる。
狂気の視点と、正気を併せ持つなんて、すごいではないか。

オルセーの展覧会は、冷房の効かない暑いガラスの建物で、40分待ち、
(夏休みの始まる前の7月上旬月曜日で、その混雑)
見終われば、
レストランには長蛇の列で、飲み物も気軽に飲めない、自販機はないで、
散々だったが、セザンヌの原画を見られたのは、よかったと思う。

しかし、夏には、あの美術館は、飲み物だけの売店か、自販機を置くほうがよいと思う。
飲み物を持参で出かけるのは、なれた人や、用心のよい人だ。
なれない人は忘れるし、私は東博を想定していたので、もっていかなくて、
暑くて干上がるかと思った。
実際、会場から、車椅子で運び出されていた女性がいた。
軽い熱中症だろうと思う。
ガラスの建物の夏の暑さには、うんざりである。

地下レストランのパスタ(きしめんみたいな)と、鶏のクリーム煮は、
おいしかった。
だから、機会があれば、また行きたい。倒れないように、飲み物持参で。


人気ブログランキングへ

by yamatokodou | 2010-08-25 01:57 | 知の水脈 観る 読む
line

学力をつける食事         パワースポット参拝散歩


by yamatokodou
line